(本)五木寛之著 「親鸞 激動篇」2 「念仏」は「ロック」だった

昨日の投稿「(本)五木寛之著 「親鸞 激動篇」はスターウオーズのエピソード4~6。そして念仏による乱交?!」に引き続き、「親鸞」の読書メモです。



僕が尊敬する岡田斗司夫さんが

「日本人は、横(周囲の人)ばかり気にして、縦(歴史)をみない」

と言ったように、僕には想像もつきませんでした。


今でこそ念仏って、今の日本人の多くにとっては

「古臭~~い」「宗教くさ~~い」

というイメージですが(すみません (~_~'')

親鸞が生きていた鎌倉時代には、

「念仏を唱えれば、それでOK」

という教えはとても過激だったんですね。


そしてそれは熱狂的に民衆に受け入れられました。

昨日ご紹介した念仏による乱交パーティも、その一側面なのかもしれません。


「念仏」人気を妬み、危ぶむ体制側(旧仏教側)により、

親鸞は、師匠の法然ともども流罪にあいました。



これは、まさにロックです。(いや、現代のロック以上?!)




「親鸞」についてほぼ日刊イトイ新聞 - 親鸞 Shinranや、ウィキペディアなどを読むと、親鸞については不明なことも多く、諸説あることがわかります。

(まあ、鎌倉時代の人なんだから当たり前といっちゃあ、あたりまえかな)

つまり、

五木寛之氏の本は、創作が多いのです。


とはいえ僕は、

「親鸞という、現代人にとっては少々遠い存在になりつつある存在を、

冒険小説・恋愛小説の形で紹介して身近なものにしてくれたこと」

に五木寛之版「親鸞」の価値があるのだと感じます。




ということで、創作ということはあまり気にせず、印象に残った文章のメモです。


個人的には、「人に何かを伝えること」「教えるとは?」「教育」的なことについてとてもよい示唆を得た気がします。

「聖(ひじり)の戒は、無戒。これがおきてじゃ」

「無戒であるということは、仏法の常識や世間の常識など、それらのすべてにとらわれず自由に生きることをいう。あらゆる習俗、行儀を無視して、約束ごとにしばられずに生きることじゃ。よいか、吉水(よしみず)へいくのなら素っ裸でいけ。聖の戒は無戒。そのことを忘れるなよ」(P19)




「ただ念仏して浄土に往生するというお話には、ふかく心を打たれて、そのつもりで念仏していたのです。でも、いま思えば、それは自力でつとめる念仏だったのではないでしょうか。のちに越後へもどり、死を覚悟したとき、気づかぬままに、ふっと念仏が口からこぼれでてきたのでございます。そのとき、はっきりと心がさだまりました。これまでの紫野(しの)は死んだのだと。そしてふしぎに病が快方にむかい、元気を取りもどしたとき、わたくしは生まれ変わったような心持ちでございました。信心に目覚めたというのではなく、信心を恵まれたのだと感じたのです。そこであたらしく生まれ変わった自分に、恵んでいただいた信心を生涯忘れまいと」

「恵信(えしん)と名のられたわけですか」 (P110)

(「親鸞(下)」より)



 





日々、善光寺に群れつどう人々が、なにをもとめてやってきているかを、親鸞はじっとみつめていた。
そこには三つの願いがあった。

一つは、病気平癒。

つぎは、商売繁盛。

三つ目が、家内安全。

それを、現世利益とよんで頭からおとしめていいのか。

一筋に死後の浄土往生を願うことこそ念仏者の道だと親鸞は信じている。人にもそう説いてきた。

しかし、という思いが、ふと親鸞の胸をかすめるのだ。人が幸せに生きるためには、結局、臨終のときをまたねばならないのか。念仏者にとって、現世はどこまでも仮の世界なのか。(P94)




親鸞は決して雄弁ではない。むしろ訥々(とつとつ)とした語り口だが、人の心にしみ通るような独特の味わいがある。(P120)




親鸞は自分の歌が、これほど人びとを感動させようとはお以てもいなかったのだ。法話をはじめるきっかけにでもなれば、と思いつきで今様(いまよう)を披露したのである。

〈歌の力というものは、なんとすざまじいものであることか〉

かつて安楽房たちの念仏歌唱のもよおしが、世間に大反響をよび、ついには念仏弾圧のひとつのきっかけになったことなどを思い出さないわけにはいかない。(P124)




釋尊が入滅されたあと、その教えは歌として人びとに記憶され、伝えられたという。
それを偈(げ)という。
仏の教えは、はじめは文字に書かれた経典としてではなく、歌としてくちずさまれ暗記され、人びとに手渡されていったのである。

(中略)

自分のことを、歌うたいの芸人坊主とさげすむ者がいても、それがなんだろう。そもそも河原の石ツブテとして生きることを誓った身ではないか。
(P127)




人びとは喉の渇きをいやすように歌を求めるが、それと同じように、物語をきくことを欲するのだな、と親鸞は感じた。(P145)





「しかし、わたしは、ただ念仏せよ、という法然上人の言葉を、そのまま受けとることはできなかった。百日間ずっとその言葉をききつづけた末に、
突然、月の光に照らされたような心持ちになったのだ。よろしいか、みなの衆。念仏をしても、決して背負った荷の重さが軽くなるわけではない。行き先までの道のりがちぢまるわけでもない。だが、自分がこの場所にいる、この道をゆけばよい、そしてむこうに行き先の灯が見える、その心づよさだけで弱虫のわたしはたちあがり、歩きだすことができた。念仏とは、わたしにとってそういうものだった」
親鸞が話をおえたとき、道場内の人びとはみな黙っていた。だが、親鸞はそのとき、自分の言葉のわずかな部分が、たしかにそこにいる男や女たちに伝わった、と感じた。
「わたしの勝手な話をきいてくださって、かたじけない」
と親鸞は頭をさげた。
「お礼に、一曲、うたわせていただこう」 (P149)





そして親鸞は、念仏の教えを説くよりも、つとめて物語を語った。

それも仏典のなかの人間くさい物語を、平易な語り口ではなすのである。

さらに、自分自身の幼いころからの体験を、正直に人びとに語りもした。 (P158)





かく申す親鸞自身、よくよくわが身を振り返って考えてみると、さまざまな欲と不安とが心の底に渦巻いていることを感じないではいられないのだ。人をそねむこともある。憎むこともある。よく思われたいと楽うこともある。老いや、死を思うこともある。そして・・・」

夜が更けても、だれも帰ろうとする者はいなかった。 (P198)






「法然上人ののこされた「選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)」を、いまもくり返しくり返し読んでいるのです」
と親鸞はいった。
「読めば読むほど感動いたします。この書がさししめす道を、一筋に歩いていけばよい、とあらためて感じるのです。しかし、わたしは法然上人から手渡された教えを、受け取って、さらに他の人びとにわたさねばなりませぬ。
わたしは深夜、ふと目ざめて考えます。法然上人はいわれた。自分はこれが念仏だと思うと。そして、わたしにたずねられているような気がしてなりません。さあ、おまえの念仏はどうなのだ、と」

〈この親鸞自身の念仏とは何なのだ〉

それは十六年前に、都から越後に流されて以来、ずっと心の深いところに響きつづけている問いだった。
(P217)




〈法然上人の念仏は、聖人(しょうにん)が凡夫をすくう念仏だ。しかし、自分の念仏は・・・〉

それは凡夫同士が、共にすくわれようとする泥まみれの念仏ではないのか。
思うだに恐ろしい考えである。しかし、親鸞はその疑いをふり払うことができない。 (P219)





この数年間、親鸞は二つのことに集中して暮らしてきた。

日中は自分の足で歩き、念仏について人びとに語る。招きがあれば、十里、二十里の道もいとわずに訪れる。

夜は机にむかい、読むことと書くことに専念する。

しかし、親鸞の心の中には、つねに、あるうしろめたさがあった。それは自分がほとんど家庭をかえりみていない、という恥ずかしさだった。
稲田(いなだ)に住んでからも、すでに一男二女が誕生している。越後から連れてきた小野と明信をくわえると、恵信をふくめて七人の家族である。 
親鸞を関東に招いた宇都宮家からの援助は、そのまま同上に集まる人びとへの炊き出しそのほかの費用にあてている。念仏に心をよせる人びとがふえてくるにつけ、親鸞一家の暮らしは、むしろ切りつめた苦しいものになってきていた。そのことで親鸞は、恵信に対してどうしてもうしろめたい気持ちをおさえることができない。
若いころから親鸞にはつねに心にかかる疑問があった。
〈自分には肉親に対する情というものが欠けているのではないか〉
という思いである。
(P223)




法然門下には、高弟とよばれる人びとも多くいた。
しかし、法然上人は決して門下の人びとを、弟子としては遇されなかった。
一つの教えを信じれば、かならず集団がうまれるのは、さけることができない。御同朋(おんどうぼう)、御同行(おんどうぎょう)という気持ちでいても、集団ができれば、そのなかから
自然に指導者があらわれてくるものだ。
そしておのずから師と弟子という上下の関係が生じてくる。
念仏の教えというのは、行うのがやさしければやさしいほど、信じることがむずかしい。
そのやさしさとむずかしさの間に、きっと念仏の隠された秘密があるのではないか、と思う人びとも少なくなかった。
その隠された真実を自分は知っている、とみずから称する人もいる。なんとかしてその秘密を伝授されたいと思う人びともいる。
親鸞がもっとも苦心したのは、そのようななかでうまれてくる師と弟子という関係をどう考えるか、ということだった。 (P245)


「親鸞 激動編(下)」より



  




「創作」と書きましたが、

著者の五木寛之氏はかつて、

文筆業を中断してまで、

京都の龍谷大学に入学して仏教について学ばれました。


仏道をライフワークとされているのでしょう。


この本の随所から、仏教に関する良い学びを得ることが出来た気がします。

続編(最終編)は出るのでしょうか?

ぜひ、読みたいです。
















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れおん
東京在住。2011年初旬に安定した仕事を辞め、いくつかのお金の流れを創りつつ「真の幸せとは何か?」「自由とは?」を探求中。かなりの手応えを掴み、探求をほぼ終えつつあります。縁のあった少数の人に「好きな事をビジネスにして楽しく生きる」ためのコンサルティングをしています。興味のある方は「メールフォーム」から気軽にメッセージをお送りください。

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